国と地方の温度差

 よく誤解されるのだが、土壌汚染対策法とは「土壌汚染を根本的に浄化する」ことを目的にした法律ではない。
 第1条を見てもらえば分かるとおり、土対法はまず「汚染状況の調査・把握」を目的とする法律であり、その上で「健康被害の防止」を狙いとする。健康被害の防止というのは、必ずしも「その土地の汚染を根本的に、完全に除去する」ことを目的とするのではなく、むしろ「拡散の防止を図る」ことの方が重要である。ぶっちゃけ、汚染が発覚しても、それが直接人の健康に影響を及ぼさないと考えられるなら、迂闊にいじってリスクを拡散させるよりも、その場で封じ込めておけ、というのが、土対法の基本的な考え方だ。
 ところが、このような法律の基本スタンスと、現場の感覚には、明らかな温度差、ギャップがある。現在までに発覚している土壌汚染のうち、法に基づく調査によって明らかになったものはごくわずかで、大半は土地所有者等による自主調査によって明らかにされたものだ。そして、汚染が発覚した場合の対処方法としては、掘削除去が大半を占め、法が予定しているような、その場での封じ込めによって対応することは稀だ。
 このように、法が予定しているのと異なる事態が進行していることへの対策として、土壌汚染対策法の大改正がされ、平成22年4月1日から施行された。こうした法の基本的な考え方が色濃く現れているのが、改正後の第14条で、自主調査により汚染が判明した土地の所有者等が、都道府県知事(政令市にあっては市長)に申請することで、法に基づく要措置区域又は形質変更時要届出区域として指定を受けることができる、という制度だ。行為に制限がかかる、いわゆる不利益処分を、自ら望んで受けることができる、という変り種の制度で、それなりによく考えられているとは思うが、やはり、机上の空論の感は否めない。
 というか、今回の改正土対法作った人々は、どうして法に基づく調査ではなく自主調査で汚染が判明するケースが多いのか、どうして現地封じ込めではなく掘削除去が偏重されるのか、その理由をどういう風に考えてるのかしらん。法は「健康被害の予防」ひいては「汚染リスク拡散の防止」という風に、実に理論的・合理的に考えているのだけれど、実際の土壌汚染の現場では、風評被害とか、近隣住民の感情だとか、法があまり重視しないところに、重大な価値が置かれているのだ、ということに、どの程度思いが及んでいるんだろうか。
 有害物質を使用する事業所、例えば、工場みたいなものをイメージしてもらえば、CSRだとか、企業としてのリスクマネジメントだとかの観点から、法に基づき粛々とやってればいい、という感覚にはなりえず、法律上は汚染の発見・除去が求められていない場合でも、自ら汚染を発見し、これを除去する必要にかられる。そうしないと、結局企業の価値を損なうからだ。
 あるいは、国と地方の立場の違いということを考えれば、全国的観点からすれば、ある場所で汚染が発見されたときに、それが別の場所に拡散するのを避けなければならないから、汚染土壌の搬出は厳しくチェックするが、汚染土壌の搬入にはそれほど厳しいチェックは及ばない。搬出と搬入どちらかをチェックすれば拡散は防げるのであり、搬出側をチェックした方がより効果的である、という合理的発想からだ。ところが、地方、ある地域住民の立場からすれば、今自分が住んでいるこの土地の近くに、汚染があるかどうか、ということが重大な関心事なのであり、その汚染土壌がどこからやってきたのか、は大した問題ではない。したがって、地域のニーズとしては、搬入側のチェックこそが重要なのであり、搬出側のチェックなどにあまり興味はないのである。


 今回は土対法を例にとったけれど、国の考える環境政策と、地域住民、あるいは地域の事業者における環境の感覚とは、往々にしてズレがある。
 つまりはそんな中で板挟みになっている地方公共団体の苦労も少しは分かってくださいよ、という、ちょっとした愚痴が言いたかっただけのことなのだが。もっと言えば、いい加減国は、自治体が国と同じ価値を共有している、という幻想を捨てて欲しい、ということでもあるんだけど。