届出と受理

 行政手続法が到達主義を採用したことから、行政行為としての「受理」は法の特別の規定がない限り観念し得ない。届出書が行政庁に到達した時点で届出者は行政上の義務を果たしたことになり、あとは行政庁側が改善命令等の処分をするかどうかの判断だけの問題になる。
 と、いうのは、このブログの読者の皆様であれば、既にご承知もご承知、耳にタコが出来そうな話だと思いますが。
 しかし現実、そうはいかないのが行政窓口の現状。届出義務者における法令の理解不足等があって、届出書の内容に不備がありまくる場合、適切な行政指導によって補正を求めて、つまり持ち帰って直してもらって再提出してもらう方が、結局行政庁と届出者のお互いにとって、もっとも適切な結果になることが少なくない。そのため、届出書を窓口に持ってきた届出者に対して、担当職員たる私は、受付印を押すより前に中身に目を通して、間違った箇所をさんざん指摘して、結局持ち帰らせてしまうわけだ。


 このような行政指導は、もちろん行政指導だから、強制力はないわけだが、水質汚濁防止法5条1項の届出には、行政指導の実効性を確保するための仕組みが用意されている。
 ひとつが、同法9条2項の「期間の短縮」であって、届出者は、届出後60日を経過するまでは事業に着手できない(9条1項)のだが、行政庁が届出の内容を相当と認めたときは、この期間を短縮することができる、という制度だ。届出者としては、届出書が行政庁に到達しているのだからもう届出の義務は果たした、と言い切ることもできるのだが、行政庁の指導に従い、届出書の補正を行うことで、期間の短縮という恩恵を受けることができる、となると、行政指導に従うケースが多くなる、という仕組みだ。
 もうひとつが、水質汚濁防止法施行規則6条の「受理書」の存在だ。水濁法5条1項の届出に関して言えば、受理は行政行為ではなく事実行為だから、受理書の交付を受けているか否か、ということは、届出者側が届出義務を果たしたか否かの法律関係に何ら影響を及ぼさないはずなのだが、そうは言っても、行政庁の「お墨付き」である文書が手元にあるかないか、ということは、届出者側にある種の心理的効果を与える。届出書が行政庁に到達しているのに受理書が交付されないのは、本来単なる行政庁の怠慢に過ぎないはずなのだが、その状態で届出書の不備を指導されれば、届出者としては、実際に届出内容に不備がある以上、「いいから早く受理書を出せ」とはなかなか言いにくい。
 なるほど、このような仕掛けを設ければ、届出制のもとで、必ずしも強制力のある行政命令に頼らずとも、一定の実効性を確保できる。なんと姑息な真似有効な方法。よく考えたなぁ。