忌避施設と住民同意

 忌避施設。
 他にも嫌悪施設とかNIMBYとかいろんな呼ばれ方をする。要するに、社会生活上必要不可欠な施設だが自分の家の近くに建てられるのはちょっと嫌な施設。代表例として、墓地とか産廃処分場とか原発とか。
 で、これらの施設の設置許可の条件として、周辺住民の一定数の同意を得ることを行政庁が求める場合がある。それは条例に許可基準ないし義務的な手続きとして定める場合もあれば、要綱等に基づく行政指導として行う場合もある。
 いずれの場合にあっても、住民同意がないことを理由に不許可とするのは違憲ではないか、という、施設設置主体(業者)との紛争になる要素をはらんでいる。


 「超」古典的理論としては、財産権に制限を課すいかなる条例も憲法29条2項に違反する、というものがあったが、イマドキこんな狭量な理論を支持する人はいないだろう。
 したがって、財産権への制約となる立法について、いかなる場合が違憲となるかが問題となるが、判例上確立されている違憲審査基準として知られているのは、「消極的(警察的)規制」と「積極的(政策的)規制」とを区分し、前者は厳格な合理性の基準に服するが、後者は強い合憲性の推定が働く(明白性の基準)。
 以上、憲法の授業の復習、終わり。
 ↑のようなこと書いておいてアレだが、このへんの違憲審査基準については、われわれ実務家はそんなに難しく考えなくていいと考えている。いずれの場合においても、規制の目的と規制方法との間に合理性が認められるかどうかを審査しているのであって、その審査手法が合憲寄りか、違憲寄りかというだけのことだ。明白性の基準に従い裁判上は合憲性が推定されるとしたって、規制目的と規制方法のバランスを欠いていいわけではないので、結局、規制条例の立案者としては、どのような審査基準に服するものとしても合理的な規制であることを説明する責任を負う覚悟でなければならない。比例原則、と言い換えてもあながち間違いではあるまい。


 以上を頭に置いて、忌避施設と住民同意の話に戻る。
 「住民同意がないと許可しないとしたら、違憲になるか?」という問いかけをされたときに、私は、「許可の根拠となる法律なり条例なりの、第1条(目的規定)を見てください」という答えを返すことにしている。「その規制は、周辺住民の個別的利益をも保護する目的ですか?もっと一般的な公益を保護する目的ではないですか?そうであるならば、周辺住民の同意のあるなしは、行政庁の許可の可否の判断根拠に、どうしたって関係ない話になるんじゃないですか?」
 いわゆる忌避施設が許可制度に服し、一般的禁止のもとに置かれている趣旨は、崩落・陥没などの事故や、有害物質汚染などの、これを看過することが公共の福祉に反するような事態を、行政庁の強い関与により抑止することにある。このことは、当該許可の根拠となる法律ないし条例の第1条を見れば、まず間違いなく書かれている。
 このような広く一般的な公益保護の見地に立つ以上、「多少危険だけど周辺住民がオッケーって言ってるから許可出しちゃえ」という話にはならないし、逆に「安全性は確保されているけど嫌だって言ってる人がいるから不許可ね」というのは理由が立たない。
 裏返して言えば、周辺住民の個別的利益を保護しようという趣旨の法律は、普通、許可制度により実効性を確保しようとしない。都市緑地法に基づく緑地協定、景観法に基づく景観協定のように、周辺住民相互の合意形成手法を導入するのが自然だ。
 結局、許可制度を採っている以上、当該規制は周辺住民の個別利益までをも保護するとは考えにくいので、許可の条件に住民同意を求めることが妥当なケースというのは、一般的には想定できないのではないか。


 というわけで、「忌避施設の設置許可に際し住民同意を求めるのは一般的に違法」というのがロバ耳的結論。