国家賠償法3条2項

 市立中学校の教諭による体罰に関し、費用負担者である県が国賠法3条1項により被害者に損害賠償した場合に、同条2項により学校設置者である市に求償することができるが、その求償権の範囲はどこまでか。
 地裁レベルから注目していた事件だったが、ついに最高裁判決が出た。
 基礎自治体には厳しい結論。
 【裁判所ホームページのpdf


 直感的に「教員を処分する権限ないのに損害賠償の責任だけ全面的に市が負うんかい」という感想を抱く市町村関係者は少なくないだろう(かく言う私も、真っ先にそう考えた)し、実際にそのような意見を伝えるメディアもある(asahi.com)。
 ただ、少し時間を置いて冷静に考えてみると、この「権限と責任の不均衡」は、「市の責任が過大である」ことに問題があるのではなく、「市の権限が過小である」ことに問題があるのではないか、という気がしてきた。市の設置する小中学校について、その実務面を把握しているのは市なのであって、仮に教諭に不適切な行為などがあり、懲戒処分をする必要が生じたとしても、処分権者である県教委は、処分の根拠となる非違行為等の具体的事実について、結局、市教委から詳細なヒアリングを行うことによってしか、処分を下せない。それなら、平時の学校教育に直接関与・指示する機会を持ち、非違行為等の具体的事実を容易に把握しえる市教委が、じかに懲戒処分をすることが、合理的であり、また公正なのではないだろうか?
 そのように考えると、逆に、国賠法3条って何のためにあるんだろう、ということが気になってきた。少なくとも、市立中学校における県と市の関係を考える限り、そもそも、県に損害賠償請求をすることができる、っていうこと自体が、理由のないものになるのではないか?


 気になったので調べてみた。
 明治憲法下においても、公務員の監督者と費用負担者、営造物の管理者と費用負担者が異なる場合に、いずれが賠償の責めを負うべきかについては、争いがあったとのこと。これを立法的に解決したのが国賠法3条であり、1項でいずれに対しても請求できることとして被害者救済の拡大を図り、最終的な決着は2項で内部的求償関係として解決を図った、ということらしい。(以上は『行政法解釈学Ⅱ』阿部泰隆、『行政法Ⅱ』塩野宏、『行政法概説Ⅱ』宇賀克也、あたりの該当箇所を拾い読みして私なりに噛み砕いた結果)
 法制意見としては、費用負担者説が採用されたとのことで、ここで阿部泰隆教授が、ぼったくりバーよりひどいとの形容で有名になったあの「直轄事業負担金」の事例を引き合いに出して、「国はその公務員の管理のミスのため生じた瑕疵による事故の賠償費用の半額近くをミスのない自治体にいわばツケ回しすることができる」と手厳しい批判を入れている(阿部前掲p548)。しかしこれも、国賠法3条2項の解釈が問題だというよりは、直轄事業負担金制度のあり方の方が見直される余地がありそうだ。
 そう考えると、そもそも「管理監督者と費用負担者が異なる」ということ自体が、地方分権の観点からは、原則として容認されるものではなく、あくまでも例外的な場合にとどまるべきだ、ということになるのではないか。その場合、国賠法3条の規定は「例外的な場合における国家賠償のルール」を定めたものである、ということになる。今後、地方分権の進展に伴い、「権限を有する者が費用を負担する」というルールが徹底されていくにつれて、国賠法3条は死文化されていくのではないか。


 まあ、そうは言っても、県教委と市教委の権限や費用負担について、一朝一夕に整理されることだとは思えない(歴史的経緯もあるし、首長部局から分離した教委の役割というそもそも論もあるし)から、上で述べたのは遠い将来の話かもしれないが。