景観法と景観条例

 鞆(とも)の浦訴訟の広島地裁判決ってどっかで読めるのかしら。例規屋としては、いわゆる景観利益について、国立マンション景観訴訟の最高裁判決(平成18年3月30日第一小法廷)との関係がどう整理されているのか、気になるんだけど。


 昨年度の話だが、幸運にも、景観法に基づく景観条例の制定に関わることができた。
 とか偉そうに言ってみるが、担当部長さんが大変にお詳しい方だったおかげで、放っといてもどんどん話が先に進んだので、今にして振り返ってみると、俺、あんまり役に立ってなかった気がする。反省。
 さて、この「景観法」というのも、他に類例のない、なかなか独特な法律だ。
 立法により景観を保護しよう、という発想が、そもそも国より地方自治体の方で先に出てきた話で、景観法の制定などより前に、既に独自の「景観条例」を作っている自治体が、多数あった。情報公開条例の場合と同様に、国の法律が自治体の条例の出来のいい部分を上手いこと取り入れてるな、という感じがするのは、後発のメリットでしょうね。
 しかし情報公開の場合と異なるのは、景観というのは、「これが正解」という確かなものがない世界だ、ということ。人によって感じ方が違えば、望ましい景観の姿も異なる。周辺の自然環境、歴史的経緯、そこに住む人々の意識によって、目指すべき景観が異なってくるから、統一的な基準による規制になじまない。
 景観法の優れている点は、全国一律の規制から脱し、その自治体(景観行政団体)ごとに異なる規制のルールを作ることを、あらかじめ予定しているところにある。景観行政団体はそれぞれに「景観計画」を策定し、この計画の中に「良好な景観の形成のための行為の制限に関する事項」を定め(景観法8条2項3号)、これが遵守すべき景観形成の基準となる。建築物等の形態や色彩についての制限を、自治体の計画において、かなりのフリーハンドで定めることができる。
 もちろん細かい点の不満がないわけじゃない(省令から条例への委任(景観法施行規則1条2項4号)とかはホント勘弁してほしい)が、全体として、自治体のやる気に応えて裁量を与えてくれている、地方分権に理解のある法律だと思う。感謝。


 さて、景観法が条例に広範な裁量の余地を残しているということは、各自治体の条例の出来にやる気が透けて見えてしまう、ということでもある。
 当市の場合も、景観法の制定前から独自の景観条例を定め、運用してきた実績と自負があったから、単なる法律の施行条例にとどまらず、自治体独自の取り組みを入れよう、という気持ちはあった。
 いくつか独自の取り組みを導入した中で、目玉と言えるのが、景観計画区域の中に「重点地区」を定めるという仕組みだ。景観計画区域内では、一定規模の建築物の建築等をする場合に、法に基づく届出を要することとなり、届出を要する行為と要しない行為の切り分けを条例で行う(景観法16条7項11号)わけだが、市内一律の届出対象行為の要件と別に、一定の区域を区切った「重点地区」の中では、より軽微な行為も届出義務を課すことにした(例えば、高さ10メートルの煙突の建設は、一般の景観計画区域では届出を要しない行為だが、重点地区内では届出を要する行為となる、というふうに)。
 こういう仕組みを考えたときに、景観行政は、地域内分権を考える試金石となるのかもしれない、ということを漠然と思った。単に、全国一律ではない自治体独自ルールを作る、というだけのことであれば、条例で定めさえすれば、選挙を経た議会の議決を経て市としての意思決定がされるから、これがうちの市の考え方です、と堂々と言うことができる。ところが景観の場合、合意形成の最小単位は「市町村」ではなく、もっと小さな地域的つながりになる事態が想定される。しかも、地域自治区のように事前の線引きが可能なものとは限らないから、議会のような合意形成のプロセスがあらかじめ用意されたものではない。
 一定の地域的広がりの中で、その都度合意形成をする仕組みが必要になる。公聴会だとか、PCやPIだとか、使えそうなツールを片端から導入して、「この地域の住民が考える良好な景観とは、これこれである」という結論に、住民の正当な意思であることの担保を持たせなければならない。それってまさに住民自治?
 さらに一歩進めれば、今後、都市計画分野においては(大橋洋一風に言えば「都市空間制御」の分野においては)法や条例は、住民が従うべき基準を定めるためのものではなくて、住民が従うべき基準を住民自身が定めるための、合意形成のルールを定めるものになっていくべきなのかもしれない。そんなことを、ちょっと空想してみた。
 究極的には、お役所も、規制の主体ではなくて、コーディネーター的役割を担う存在になっていくのかしら。