本日の感想_03

 昨夏の利根川における「水道水からホルムアルデヒド検出」の問題について、東京都など5都県の水道事業体が損害賠償を求める訴えを提起しましたが、請求の相手方は、直接原因物質(ヘキサメチレンテトラミン)を川に流した事業者ではなく、排出元事業者なのですね。
東京都ホームページ(報道発表資料)
DOWAホールディングス発表資料(pdf)
 これを最近の環境法(特に廃棄物関係の環境法)のトレンドに照らすと、原因者負担原則における原因者概念をどこまで拡大・強化するのか、という問題提起にもなり、非常に興味深いところです。
 いやもちろん、個別法があるわけじゃないですから、裁判所はあくまで民法に従って、相当因果関係が認められるかという観点から判決を下すのでしょうが。


 ここまで見てきただけでもすでに、環境法の一般原則と民事法の一般原則が、衝突、とは言わないまでも、若干の緊張をはらんでいるという雰囲気は感じられてきました。
 特に、予防原則や原因者負担原則については、経済的自由権との緊張を避けられないものであり、大仰に言えば、近代人権思想との緊張を避けられないものであるわけです。
 さらに、予防原則や原因者負担原則の実現過程においては、立法府あるいは行政府の権限が(一時的にでも)大きくなる傾向は否定できないわけで、さらに大仰な言い方をすれば、国家権力の膨張と近代人権思想との緊張を含んだ、実に扱い方の難しい、おっかない「原則」であるわけです。
 これら環境法の諸原則についてもっとも先進的な考え方を見せているのが、市民革命の舞台となり近代の扉を開いたアメリカやフランスではなく、常に全体主義への警戒をする(すべき)ドイツであるというのも気になるところですが、これ以上の深堀りは私の能力では及ばないところなので、いやその、本日はこれまで。