地方分権と協働

 霞ヶ関の皆様にお願いがございます。それは、地方分権を考えるときに、国の事務事業の合理化の観点から考えないでいただきたい、ということです。
 これからの行政需要を中央政府のみで賄うことはもはや現実的でなく、国の権限と責任を自治体に下ろすことによって、より低廉なコストでより高い効果を得ることができる。地方分権の必要性は、おおむねこのような文脈で語られることが一般的です。
 しかし、他方で皆様は、自治体に任せたことによって行政サービスの質が保てなくなった、国民全体の利益を思って制度設計したのに自治体にその理念を理解してもらえない、そのような経験から、地方分権に及び腰となっているのではないでしょうか。
 このようなボタンの掛け違いは、そもそも、地方分権を語る上での前提が誤っていることによって起こるのです。自治体は、国の出先機関ではありません。それぞれに異なった価値判断を行いうる、それぞれに独立した主体なのです。自治体にはそれぞれの自治体に固有の事情があり、したがって、ある場面では国民全体の利益より、地域住民の利益を優先しなければならないことがあります。
 皆様にはまず、自治体を対等のパートナーとして認め、それぞれの利害や価値判断に違いがあることを認めていただかなければなりません。国にとってよいことなのだから、自治体も喜んでやってくれるに違いない、と根拠もなく考えていては、期待外れの結果に終わります。自治体には自治体独自の判断があることを認め、その上で、国民全体の利益を実現するためにどのように協力しあうことができるか、これは高度な政策判断であり、経済的合理性の観点のみで語りうる問題ではないのです。
 間違っても、本来法定受託事務とすべき事業を、補助金の名目で自治体に行わせようとするような、自治体の尊厳を無視した制度設計を行うことだけは、やめていただきたいのです。



 自治体の皆様にお願いがございます。それは、協働を考えるときに、自治体の事務事業の合理化の観点から考えないでいただきたい、ということです。
 これからの行政需要を自治体のみで賄うことはもはや現実的でなく、自治体の権限と責任を市民にに下ろすことによって、より低廉なコストでより高い効果を得ることができる。協働の必要性は、おおむねこのような文脈で語られることが一般的です。
 しかし、他方で皆様は、市民団体に任せたことによって行政サービスの質が保てなくなった、住民全体の利益を思って制度設計したのに市民団体にその理念を理解してもらえない、そのような経験から、協働に及び腰となっているのではないでしょうか。
 このようなボタンの掛け違いは、そもそも、協働を語る上での前提が誤っていることによって起こるのです。市民団体は、自治体の出先機関ではありません。それぞれに異なった価値判断を行いうる、それぞれに独立した主体なのです。市民団体にはそれぞれの市民団体に固有の事情があり、したがって、ある場面では住民全体の利益より、一部住民の利益を優先しなければならないことがあります。
 皆様にはまず、市民団体を対等のパートナーとして認め、それぞれの利害や価値判断に違いがあることを認めていただかなければなりません。自治体にとってよいことなのだから、市民団体も喜んでやってくれるに違いない、と根拠もなく考えていては、期待外れの結果に終わります。市民団体には市民団体独自の判断があることを認め、その上で、住民全体の利益を実現するためにどのように協力しあうことができるか、これは高度な政策判断であり、経済的合理性の観点のみで語りうる問題ではないのです。
 間違っても、本来業務委託契約とすべき事業を、補助金の名目で市民団体に行わせようとするような、市民団体の尊厳を無視した制度設計を行うことだけは、やめていただきたいのです。