これが最後の行政不服審査とは思えない

いずれ第2第3の行政不服審査が(ヤメロ

 

ほんの1か月前くらいに、審査請求の審理員補助者の業務を終えたばかりですが、早くも次の話が来ました。

 

審理員・審理員補助者の選任というのもなかなか難しい問題です。自治体の規模にもよりますが、選任候補者として何人リストアップできるか。そもそも適任者があまり多くない自治体であれば、一人の審理員が3つも4つも案件掛け持ちしなきゃいけない事態も、容易に想像できます。

現役の法規担当職員は、審査会の事務局やってたり、処分庁から直接法律相談受けてたりするので、審理員には向きません。

そんなわけでわが市の場合、法規のOB職員で候補者リストを作っていて、案件ごとに、利害関係のない法規OBの中から審理員と補助者を選任するようにしています。

 

この方式の問題点としては、当市の場合、法規担当は、あまり若手が座ることが少ないポジションで、しかも、一度座るとなかなか他へ異動しない傾向にあります。なので、審理員リストの顔ぶれを見ると、役職も年齢も、かなり高めの傾向となることです。

もちろん、課長さんや所長さんが審理員となっても何の不具合もないのですが、当事者それぞれとの連絡調整や、文書の発送、会議室の手配など、細々とした雑務があることを考えると、そんなに役職が高くない職員を補助者としてつけたいところです。

結果、補助者を任せられるような、法規の経験があって、かつ、ほどよく下っ端の職員が、不足しているように感じます。

 

そんなわけで今回も審理員補助者を務めさせていただきます。

冷静に考えると、一応法規の経験があって、今は会計担当という利害関係人になりづらいポジションにいて、さほど偉くもない。これほど雑用係として便利なキャラってなかなかいないんじゃないでしょうか俺様。

いや、審理員をやっていただいている先輩の背中から、「次はお前の番だぞ」というメッセージはひしひしと伝わってくるのですが。

 

自治体は長期債を買うべきか

金利が上がりませんね。

いや、日銀のイールドカーブ・コントロールが奏功しているということですから、批判するものではないのですが。ただ、国債が7年ものくらいまで利回りマイナスに沈んでいる現状、運用で利回りを取ろうとするなら、10年ものより長い長期債に手を出さざるをえなくなります。

 

自治体が長期債に手出しする場合に、最低限やっておかなければならない下準備が2つあると思います。

 

1つめは、基金の取り崩しについて長期的な見通しが立てられること。

長期債の運用原資は基金となります(歳入歳出現金はその性質上、年度を超えた運用には回せない)。今ある基金を5年間は取り崩す予定がなく、5年後に取り崩す、と明らかに分かっていれば、5年間債券で運用して5年後に現金化できるよう、予定を立てて運用に回せばいいので、難しくありません。しかし、今ある基金を来年取り崩すかもしれない、3年後に取り崩すかもしれない、10年経っても取り崩さないかもしれない、と、見通しが立たない状態では、何をどれだけ債券に回していいのか、予定の立てようがありません。

複数基金の一元運用で運用単位を大きくするなど、見通しを立てやすくする工夫はありますが、それでも、この先10年20年の財政ビジョン(基金の取り崩し、積立を含めた)がなければ、長期債に手を出すのは無謀だと思います。

 

2つめは、支払準備金の一時的な不足に対し、基金からの繰り替え運用以外の方法で資金の手当てができること。

支払準備金は、年度の途中で不足することがあります(国からの交付金などの特定財源や、市債への依存度が大きいと、支払いが財源収入より前に来ることが多くなり、資金不足を生じやすいようです)。このとき、基金を現金(預金)で持っていれば、基金から歳計現金に一時的に繰り替えて運用することができるので、支払準備金の不足にすぐ対応できます。

しかし、基金を長期債にしてしまうと、その分は繰り替えに回すことができないため、支払準備金の不足は別の方法で解消する必要があります。

他の自治体の事例では、一時借入金を利用する(金融機関からお金を借りる)、債券売り現先取引を利用する(債券を担保に証券会社からお金を借りる)のような対応をしているところがあります。いずれの場合も利払いが発生するので、資金調達のコストを上回って、運用収益を上げることができなければ、この方法は取れません。

 

以上2つの側面から、自治体で長期債を買うためにはそれなりの準備が必要で、この準備をするということ自体が一種の政策的決断でもあるように思います。

最近、地方公共団体金融機構あたりが、自治体に長期債を買わせようとしている空気感を感じなくもないですが、個人的には、「短期債の利回りマイナスだから長期債に手を出そう」というのは、「安全な商品が買えなくなったからもう少しリスクのある商品に手を出そう」ということに等しいので、それって自治体のスタンスとしてどうなの?という気がします。

少なくとも、空前絶後の超絶怒濤の低金利(利回りの低下=商品の高額化)の今日の情勢で、わざわざ積極的に高値づかみをしようとするのは、あまり良いことではないように思います。

金融機関検査

会計管理者は、指定金融機関、指定代理金融機関、収納代理金融機関の検査をしなければいけません。(地方自治法施行令168条の4)

 

後輩「収納代理金融機関の検査って、何を見ればいいんですか?」

俺「基本は、金の出入りが合ってるかどうかだね。納付書の原符と、公金払込書と、指定金融機関からの領収書と、別段預金元帳を突き合わせて確認する」

後輩「別段預金元帳?」

俺「収納代理金融機関では、市の公金を専用に取り扱うための別段預金口座を設けてもらっている。元帳っていうのは、金融機関が持ってる、まあ、預金口座の原本だと思ってくれればいいよ。市の公金を収納したときは別段預金に入金されるし、収納した公金を指定金融機関に払い込むときは別段預金から出金される」

後輩「なるほど」

俺「どこか特定の一日に着目してみようか。1月15日、この日の公金収納件数が5件で、収納金額が合計100万円だったとする。そうすると、1月15日の領収印が捺された納付書の原符(金融機関控え)が5枚あって、その合計金額が100万円になるはずだ。まずその原符をチェックする。

「それから、1月15日に100万円の公金を収納しているということは、別段預金に100万円の入金がされてなければならない。だから、別段預金の元帳をチェックする」

後輩「なるほど、ここで元帳が出てくるんですね」

俺「まだある。1月15日に収納した100万円は、翌日の16日に指定金融機関に払い込まれる。領収済通知書を指定金融機関に持ち込むんだけど、これに『公金払込書』を添付する。公金払込書は3枚複写式で、収納日と領収済通知書の枚数、合計金額を記入して、1枚が市保管、1枚が指定金融機関保管、1枚が収納代理金融機関保管分になる。収納代理金融機関保管分の公金払込書の1月15日分に、ちゃんと5件100万円と書かれていること、指定金融機関の領収印が捺されていることを確認する。

「資金を小切手で払い込んでいる場合、指定金融機関から領収書を受け取っているから、その金額が100万円であることを確認する。最後に、小切手が交換所に回って決済されると、別段預金から資金が払い出されるから、100万円が払い出されていることを、別段預金元帳で確認する」

後輩「わかりました。やってみます!」

俺「まあ、俺たちは金融庁でもマルサでもないから、あまり気負いすぎないように。基本、どこの金融機関もちゃんと処理してるはずだから、不正を探す、とかじゃなくて、正しく処理されてることの再確認のために検査に来た、くらいのつもりで、ね」

 

大体、市役所ごときのゆるい事務処理と違って、金融機関は非常に厳しいコンプライアンスの下で日々の業務を行っているのだから、素人同然の市役所職員が検査に入ったところで何かが見つかるはずもあるまい、と思ったけど言わないことにした。

ドラゴンハイパー

災害現場確認でドローン隊発足
02月05日 17時03分
神奈川県大和市は災害時に現場の状況をいち早く確認するため、ドローン12機を新たに配備し、操作できる消防隊員で作る「ドローン隊」を5日、発足させました。(以下略)

NHK 首都圏NEWSWEB より

 

妻「ドローン隊、ねえ」

俺「何か?」

妻「そのまんま、だからさ。もっと格好良い名前つけてあげたらいいのになーって思って。ほら、何かあったじゃない。カタカナのすごい名前の部隊。あれみたいに」

俺「ああ、『ドラゴンハイパー・コマンドユニット』のことね」

妻「そうそう、それそれ」

娘「ナニソレ」

俺「化学消防の精鋭部隊だ」

スマホで画像検索して見せる)

俺「このエンブレムが、かっこいいんだなぁ」

娘「なんか、ゲームのキャラみたい」

俺「100メートル先の火点まで届く放水能力!毎分8000リットルの大量放水!海からも河川からも取水できるポンプ車!(自分の世界に入っている)」

妻「ええと、で、そのハイパードラゴン」

俺「『ドラゴンハイパー・コマンドユニット』だ」

妻「よくそんな名前つけられたよね」

俺「当時の大臣じきじきの命名らしいよ。こういう名前は役所の中だけではなかなかつけられないよね」

 

命名当初は「中二かよ」と内心思ったりしたけれど、今思うと、いかにも役所らしい「エネルギー・産業基盤災害即応部隊」という名称だけじゃなくて、「ドラゴンハイパー・コマンドユニット」の名前がついたことは、本当に良かったと思う。

こんなところからでも、消防活動に興味を持ってもらえるってすごく大事なことだと思うの。

 

日銀の代理店

収税担当課の人:「国家公務員の源泉税で、還付が生じまして」

俺:「はあ」

税:「先方の国の機関としては、国所定の納付書で払ってもらえるとありがたいそうなのですが」

俺:「それって」

税:「この納付書を取り扱える金融機関が当市にはないんじゃないかと、先方に心配されてしまいました」

俺:「日銀の本支店、又は代理店でないと使えないってやつですね」

税:「それです。やっぱり無理でしょうか」

俺:「いや、何とかなると思いますよ。ちょっとこの納付書借りといていいですか」

 

俺:「というわけで、これなんですが」

指定金融機関の偉い人:「ああ、これね。うちの視点では扱えないけど、当行の本店営業部なら日銀の代理店になってるから、いけますよ」

俺:「どうすればいいでしょうか」

偉:「○日(通常の書類提出日の2日前)までに、この納付書とこれの分の資金(小切手)だけ先に出してください。私の方で本店に話をして、送っておきますよ」

俺:「助かります。じゃあ、それでお願いします」

 

俺:「いけます」

税:「ほんとですか」

俺:「ただし、通常の支払書類提出日より2日早く、会計課に書類を提出してください」

税:「わかりました」

 

というわけで、根回しがあれば結構何とかなっちゃう話。

2年くらい前に、通常の支払書類の納付書(電気代とか電話代とか)に国の納付書がしれっと紛れ込んでて、支払い日間際に発覚して右往左往した経験が生かされていることは内緒だ。

 

長野逐条が捨てられない

D-lizの自宅本棚には、埃っぽい長野逐条が、捨てられずに置いてあります。長野逐条です。ここ大事なので2回言いました。

いまの自治体職員で、もはや「自治の神様」長野士郎を知る人も少なくなってきたでしょう。私が役所に入ったのは2001年(平成13年)ですが、まさにその頃に「逐条地方自治法」の著者も長野士郎から松本英昭に交替したように記憶しています。

D-lizの持っている長野逐条は、別の自治体で長いこと務めていた父が、「新しいの買ったから古いのお前にやる」とお下がりをくれたものです。今、奥付を見てみたら、平成5年発行の第11次改訂新版でした。

 

入庁当初はこんな骨董品でもそれなりに開いて見ていたのですが、さすがに最近ではほとんど手に取ることがなくなりました(そもそも、職場に行けば松本逐条があるし)。

それでも未練がましくこの本を捨てられずにいるのは、まれに、ごくまれに、改正されて今はなくなってしまった昔の制度を調べる必要があるからです。

 

近年、地方自治法は改正を繰り返したため、だんだん元の制度が分からなくなってきています。

若い職員に制度の解説をするときに、例えば、会計管理者とは何か。今の自治法の上っ面だけを解説するより、明治時代からあった収入役制度に触れながら説明した方が、断然、話に奥行きが出るのです。

指定管理者制度導入前の公の施設の管理はどうなっていたか。分権一括法より前の地方公共団体の事務はどのようなものであったか。改正法は次々に上書きされていき、元あった制度の痕跡は次第に失われていきます。しかし、だからこそ、時々昔の制度はどうだったかを調べ直し、今の制度をそこからの連続として捉える視点が必要だと思うのです。

こうした昔の制度を理解しようとしたときに、今簡単に手に入る文献だけではどうしても足りないことがあり、昔の長野逐条と最近の松本逐条を並べて読むことで(あるいはそこに、当該箇所の法改正当時の地方制度調査会の答申を並べたりして)ようやく制度が立体的に捉えられる、ということも、実際にあったりします。

 

自治法の解釈は、いや、言ってしまえば行政法学全体が「官学」の色合いが濃く、権威あるいはメインストリームがはっきりしているところがあります。

往年の権威的な理論、伝統的に主流とされてきた解釈を知ることは、(利用するためであれ批判するためであれ)今日の制度を理解するための前提として、必要なものだと思うのです。

宇津木村を知っていますか

かつて日本にあった村である「宇津木村」をご存知でしょうか。

現行の地方自治制度下で唯一の「町村総会」の設置された事例として、自治法の教科書などによく載っています。伊豆諸島の八丈島に隣接する「八丈小島」にあった村です。八丈小島には鳥打村宇津木村の2村がありましたが、宇津木村は1955年に八丈町に合併編入され、その後全島民が八丈島に移住したため、現在は無人島となっています。

一昨年家族旅行で八丈島に行き、南原千畳敷から八丈小島を眺めたのですが、本当に小さな島で、しかも急峻な地形(海の中にひょっこり山のてっぺんが浮かんでいる、まさにそんな感じ)がよく分かり、ここに暮らすのは楽じゃなかっただろうな、と思いを馳せたものです。

 

ところで、多くの教科書に「宇津木村町村総会の事例があった」ということは記載されているのですが、「宇津木村町村総会はどのように運営されていたのか」はどの教科書にも書いてありません。

気になったのでグーグル先生に色々打ち込んで調べてみたら、名古屋学院大学の論集に掲載されている、「地方自治法下の村民総会の具体的運営と問題点」(榎澤幸広・名古屋学院大学准教授)という論文に行き当たりました。(社会科学篇第47巻第3号に掲載)

 

いやこれすごいわ。

宇津木村村民総会における議事録、関係例規などの多くは失われている(引き継いだはずの八丈町にも資料がろくに残ってない)ようで、当時の村民総会の様子を窺い知るのは容易ではありません。

それでも、断片的に残る資料(合併協議会に提出された目録とか、収入役の引き継ぎ書とか、単体ではほとんど資料の用をなさないようなものが大半です)から拾うことのできる断片的な事実をつなぎ合わせて、全体像を推測し、さらには、村民総会の元会長さんへのインタビューも行って、村民総会の様子がほぼイメージできるところまで行き着いています。

これを読んだ後だと、「憲法で議会を必置としているのに、自治法が町村総会を認めているのは、憲法に反するのではないか?」という問いに対し、一般的な解説書が「町村総会はより地方自治の本旨に適合する体制だから当然に認められる」という説明をしているのも、少し疑ってかかる必要が感じられるようになります。

少なくとも、宇津木村で総会が置かれたのは「人口が少なかったから」という原因のみに帰さしめることのできるような単純な事情ではなく、島嶼町村制の適用がされず、戦後すぐに地方自治法が施行されるまで名主制度が存続していた、という極めて特異な環境にあったことを考え合わせなければならないことが分かります。

 

思い返せば、古代ギリシャのデモクラティアは長く衆愚政治と同視され、低く見られてきました。民主主義に価値が認められるようになったのは近代市民革命後ですが、これは自由主義と結びついた自由民主主義として誕生し、代議制民主主義として発展してきました。

最近の政治思想のトレンドは熟議デモクラシーですが、いかにして熟議を(テクノクラシーに陥ることなく)決定に導くのかは難しい問題です。代表性を担保することと理性的な意思決定に至ることは裏腹の関係ですから、代表があまり少数にすぎるのも考えものですが、だからといって「登場人物、全員、議員」の総会制度が真に民主的な制度かというと、それも疑わしいものでしょう。

宇津木村における総会制度が、積極的に選び取られたものとはいえず、さまざまな歴史的・社会的背景から「そうせざるをえなかった」ものであるとするならば、地方自治=地方における民主主義の実現において、総会制度を手放しで肯定するべきではないのでしょう。