行政不服審査の事実認定

行政不服審査法に基づく審査請求の審理員補助者なんてのも経験させていただきました。審理員、じゃなくて補助者って辺りもポイント。そして、審理員さんがクオリティ高すぎて補助者が役に立ってない辺りもお察し。

 

個別事案に係る情報はこんなとこには到底書けないので、一般論・抽象論での感想を。

行政不服審査法の改正により、対審構造の導入がされ、請求人と処分庁が向き合う「より裁判っぽい構造」になったわけですが、それでも裁判とは異なるわけで、その違いをどの程度意識するか、っていうのが今後の審査庁の課題になってくる気がします。

 

行政訴訟と別に不服審査制度が法定されている意義のひとつは、救済の簡便さ・迅速性にあると思います。行政訴訟の場合、当事者の主張が出尽くす前に拙速に結審するわけにはいかないから、どうしても手続きに時間を要するわけですが、不服審査では、訴訟に比べて迅速に結論に至ることが期待できます。

この点から今回の法改正を見ると、手続がより慎重になった分だけ、どうしても時間がかかるようになってしまいました。訴訟と同様、双方の主張を記載した書面が往復書簡のように行ったり来たりすることになるので、提出→送付と反論期限の設定→提出→送付と反論期限の設定→と何往復かすると、1、2か月なんてあっという間に過ぎ去ります。手続きの迅速化と改正法の趣旨を踏まえた十分な審理の、兼ね合いをどのように取るかは常に難しい問題としてのしかかるでしょう。

 

それよりさらに、私が気になっているのは、審理員はどこまで釈明権を行使すべきなのか、という、事実認定の問題です。

民事訴訟は当事者主義によるため、当事者のいずれも主張しない事実を、裁判官が勝手に認定することはありません。

行政訴訟において当事者主義がどこまで適用されるのかは議論のあるところで、空知太神社の事件の最高裁判決でも、当事者主義の原則を重視する立場から釈明権の行使には慎重であるべきとする立場と、行政事件訴訟法の趣旨からはより積極的な釈明権の行使が求められるとする立場の、双方からの意見があったように思います。

当該議論の延長線上で考えれば、訴訟手続でない不服審査制度においては、審理員はより積極的に釈明権を行使すべき、ということになるのではないでしょうか。法律上の争訟しか扱えない裁判所とは異なり、行政庁の内部作用である不服審査手続においては、違法なものだけでなく不当なものも扱いえます。そうであるならば、判断の根拠となる事実認定についても訴訟手続とは異なるメソッドがあって然るべきではないでしょうか。

改正法が予定する効果を発揮するためには、審理員が、当事者の主張が出揃うのを待つだけでなく、質問権を活用するなどして、積極的に事実関係を「掘り起こしていく」姿勢が求められるのでしょう。

とはいえ、法改正からまだ間もない今日では、すべての行政庁にとって、審理員による事実認定のプロセスは未知の世界であり、手探りの状況が続くのはやむを得ないところです。事例の蓄積とこの分野の研究の進展が待たれます。