5年目の指定管理者(追加)

 10月10日のエントリkei-zu様からトラバ頂いたのを機に、少し掘り下げて考えてみることにしました。


 NPMを噛み砕いてざっくり言えば、行政運営に経営的手法を導入して費用対効果上げましょう、ってこと。その具体的な方策はいくつかあるが、代表的なものとして、企画と実行の分離、というのがある。つまり、行政のやる事業だからって、一から十まですべて行政機関が直営でやる必要はないよね?っていう、当たり前と言えば当たり前、目ウロコと言えば目ウロコな話だ。
 PFIで市庁舎建設する場合を例に取ってみれば、「市役所は、その建物の中で必要な事務作業と窓口サービスができればいいのであって、必ずしも建物が市の所有でなくたって、賃貸のオフィスだって、公共サービスの質は落ちないよね?」という話の発展形だ、と理解できる。賃貸のオフィスに市役所がテナントとして入る、という発想から一歩先に進めて、市の希望する場所に民間のビルを建ててもらって、市はそのビルを庁舎として25年とか30年とか長期にわたって借りて、ビルオーナーはその間の賃貸料で建設コストをペイできるから、賃貸借契約満了後は建物を市に無償譲渡する。これが、PFI(BOT型)のいちばんシンプルな事業モデルだ。
 上記のPFI事業の例で引き続き説明すれば、市は、市庁舎の用に供する建物として、どのような条件が必要であるかを、PFI事業者に明示する必要がある。例えば、交通の便があまりに不便な立地は認められないとか、1階には住民票と戸籍の窓口設備が必要だとか、指定金の支店が入るスペースが要るとか、職員食堂も必要だとか、バリアフリー対応だとか。
 他方で、工事請負業務委託の場合と違って、建物の構造や設計にまで、必ずしも市が口を差し挟む必要はない。上記のような「市庁舎としての条件」を完備するのなら、何階建てにするかとか、どんなデザインの建物にするかとか、そんなことはPFI事業者側で考えてもらう、という選択肢も可能だ。
 以上のPFI事業の例を「企画と実行の分離」という視点から説明しなおすと、「市庁舎とはどんな建物か」を示すのが「企画」の部分であり、「実際にどんな建物を建てるのか」が「実行」の部分、と言えるだろう。当該事業の公共性を担保する「企画」の部分は行政機関である市が責任を負うが、実行に移す具体的な手順については、一から十までわざわざ行政機関が指図する必要はなく、民間に任せた方が却って効率的なことがある。つまり、企画と実行の分離というのは、「公共目的の確保に関わる根幹部分は行政が握り、目的さえ外さなければ手段の部分は自由にやってもらっても当該事業の公共性は失われないから、具体的な実施方法は民間に委ねることができるのだ」という風に言い換えることもできる。


 さて、上記で概観したNPMの手法である「企画と実行の分離」を、指定管理者制度に当てはめてみる。
 考え方の基本となるのは「公の施設として市民の利用に供する、という目的が達成できるなら、必ずしもそこで働くのが市の職員でなくたって、公共サービスの質は落ちないよね?」といったところになるだろう。
 したがって、市は「公の施設として必要な条件」を明示し、民間事業者である指定管理者は、市が示した条件を満足できるようにするために必要な管理運営業務を行う、ということになる。


 ここで注目すべきは「企画部分は行政の責任である」ということ。つまり、指定管理者制度の導入に当たって、市は、公の施設というハードウェアだけを用意してあとは白紙委任する、というのでは駄目で、その公の施設によりどのような行政目的を実現しようとしているのか、何が求められている施設であるのかを、明らかにしなければならない。
 そして、公の施設の設置は条例事項であるから、公の施設の設置により達成しようとする行政目的は、条例に現れてくるべきものである。指定管理者制度を導入する公の施設の設置管理条例は、指定管理者の管理の基本条件となるこのような行政目的が、明らかにされるものでなければならない。このような観点から、条例の条文を検討しなければならなかった(自戒含む)。
 加えて、どこまでが行政が握っておくべき根幹部分であり、どこからが指定管理者の自由な判断に委ねられる部分なのか、線引きは必ずしも明確でない。一口に公の施設と言っても、例えば道路と博物館とでは、その行政目的を達成するために譲れない条件が異なってくることは、素人目にも明らかだ。そのような基礎的な条件付けの違いを、公の施設の設置管理条例を指定管理者仕様に改正する際に、どの程度意識していただろうか?(やはり自戒含む)
 つまり、指定管理者制度の導入に当たっては、まず、公の施設の設置目的を明らかにし、ついで、その目的を実現するためにどのような条件が必要かを明らかにする、という作業が必要で、その結果を条例の条文という形で具現化しなければならなかったのではないか。そうであるならば、設置目的の異なるそれぞれの施設ごとに、条例の規定内容、あるいは規律密度が異なって然るべきだったのではないか。
 以上のような観点から、当時の条例制定状況を見た場合、施設個々の特性を省みず、画一的な条例整備をしてしまったのではないか、という反省が起こる。当時のドタバタぶりを思えば、この時点の条例整備としてはこれでよかったのかな、という気もしないでもないが、導入から相当の年数を経た今であれば、もう少し気の利いた条例が作れるような気がする。つまり今後、手直しをするチャンスがあるということだ。


 …長々と書いてきたが、要約すれば「施設の目的を見失ったまま指定管理者の条例整備だけやってもロクな結果にならんよ」というだけのことだ。


 追記。
 上記におけるNPMの説明が偏ってるとかそれってNPMっていうよりPPPじゃないのとかサッチャー時代の話とブレア時代の話が混ざってるとか、そのへんの指摘は勘弁してほしい。っていうか、そのへんの指摘は「日本におけるNPM理論の実践」の大半のケースについて当てはまる話だと思っている。