ゼロは定量できない

 水質分析の業界では、しばしば「定量下限値(分析下限値)未満」という表現を用います。
 ある水1リットルの中に、Aという物質がどれだけ含まれているかを測定する場合、別に電子顕微鏡でAの分子を1個ずつ数える、というわけではありません。物質ごとに測定方法は異なってきますが、例えば紫外線を照射してその吸光度を測定したり、液化したりガス化したりしてカラムを通過する速度の違いで測定したりします。
 したがって、測定方法ごとに若干の違いはありますが、Aという物質がごくごく微量しか含まれていない場合、それを測定値として読みとることが不可能な下限値というものが存在します。これを「分析下限値」あるいは「定量下限値」と表現します。
 報道発表などで「この水を調べたところ、有害物質であるAは検出されなかった」と言っている場合に、それは「この水に含まれるAの量はゼロである」ということを必ずしも意味しません。Aの公定法(法律に基づく省令で定める、公式な測定手法)で分析した際に、分析結果が定量下限値未満であった、ということを意味しているのです。Aの公定法による定量下限値が「1リットル当たり0.02ミリグラム」であった場合、「検出されなかった」というのは「0.02mg/L未満であった」ということで、それが0.01mg/Lなのか、0.005mg/Lなのか、それともゼロなのかは分からない(現在の測定技術では、その値を特定することはできない)のです。


 水質の業界にいると「分析(定量)下限値未満」という表現を頻繁に見かけるので、まったく違和感を感じないのですが、一般の人にこれを説明しようとすると、けっこう苦労するんです。
 往々にして「なんでゼロにならねぇんだ」という文句の類ですが。
 若干ニュアンスが違うかもしれませんが、さんざん批判された「ただちに健康に影響はないと考えられる」という表現も、科学者的には誠実な表現なんですよね。理屈を分かっている人間であればこそ、健康リスクが「ゼロ」という評価は存在しないことを知っているので、「健康に影響はない」と断言することはできない。それを「ただちに影響はないって言ってるのは、そのうち影響が出るってことか、何か不都合なことを隠してるんじゃないのか」みたいな叩き方をするのは、やはりちょっと、アンフェアな気がします。