宇津木村を知っていますか

かつて日本にあった村である「宇津木村」をご存知でしょうか。

現行の地方自治制度下で唯一の「町村総会」の設置された事例として、自治法の教科書などによく載っています。伊豆諸島の八丈島に隣接する「八丈小島」にあった村です。八丈小島には鳥打村宇津木村の2村がありましたが、宇津木村は1955年に八丈町に合併編入され、その後全島民が八丈島に移住したため、現在は無人島となっています。

一昨年家族旅行で八丈島に行き、南原千畳敷から八丈小島を眺めたのですが、本当に小さな島で、しかも急峻な地形(海の中にひょっこり山のてっぺんが浮かんでいる、まさにそんな感じ)がよく分かり、ここに暮らすのは楽じゃなかっただろうな、と思いを馳せたものです。

 

ところで、多くの教科書に「宇津木村町村総会の事例があった」ということは記載されているのですが、「宇津木村町村総会はどのように運営されていたのか」はどの教科書にも書いてありません。

気になったのでグーグル先生に色々打ち込んで調べてみたら、名古屋学院大学の論集に掲載されている、「地方自治法下の村民総会の具体的運営と問題点」(榎澤幸広・名古屋学院大学准教授)という論文に行き当たりました。(社会科学篇第47巻第3号に掲載)

 

いやこれすごいわ。

宇津木村村民総会における議事録、関係例規などの多くは失われている(引き継いだはずの八丈町にも資料がろくに残ってない)ようで、当時の村民総会の様子を窺い知るのは容易ではありません。

それでも、断片的に残る資料(合併協議会に提出された目録とか、収入役の引き継ぎ書とか、単体ではほとんど資料の用をなさないようなものが大半です)から拾うことのできる断片的な事実をつなぎ合わせて、全体像を推測し、さらには、村民総会の元会長さんへのインタビューも行って、村民総会の様子がほぼイメージできるところまで行き着いています。

これを読んだ後だと、「憲法で議会を必置としているのに、自治法が町村総会を認めているのは、憲法に反するのではないか?」という問いに対し、一般的な解説書が「町村総会はより地方自治の本旨に適合する体制だから当然に認められる」という説明をしているのも、少し疑ってかかる必要が感じられるようになります。

少なくとも、宇津木村で総会が置かれたのは「人口が少なかったから」という原因のみに帰さしめることのできるような単純な事情ではなく、島嶼町村制の適用がされず、戦後すぐに地方自治法が施行されるまで名主制度が存続していた、という極めて特異な環境にあったことを考え合わせなければならないことが分かります。

 

思い返せば、古代ギリシャのデモクラティアは長く衆愚政治と同視され、低く見られてきました。民主主義に価値が認められるようになったのは近代市民革命後ですが、これは自由主義と結びついた自由民主主義として誕生し、代議制民主主義として発展してきました。

最近の政治思想のトレンドは熟議デモクラシーですが、いかにして熟議を(テクノクラシーに陥ることなく)決定に導くのかは難しい問題です。代表性を担保することと理性的な意思決定に至ることは裏腹の関係ですから、代表があまり少数にすぎるのも考えものですが、だからといって「登場人物、全員、議員」の総会制度が真に民主的な制度かというと、それも疑わしいものでしょう。

宇津木村における総会制度が、積極的に選び取られたものとはいえず、さまざまな歴史的・社会的背景から「そうせざるをえなかった」ものであるとするならば、地方自治=地方における民主主義の実現において、総会制度を手放しで肯定するべきではないのでしょう。