農村空間制御の法システム、ってアリ?

 都市的発展において、異なる利害関係者間の調整を行い、合意を形成し、ある時は規制し、計画的に進めるための一連の法プロセスを、大橋洋一教授は「都市空間制御」の法システムと名付けました。
 そうであるならば、農村空間を制御するための法システムなんていうものがありえるのか。ありえるならば、どのようなものであるべきか。そんなことを思いついて、最近興味がわいてきています。


 都市空間制御の法システムの長らく中核を担ってきたのは、都市計画法です。都市計画法は、土地の利用(主として建物の建設)は大原則としては自由であること、都市化の圧力は年々高まるべきものであることを前提とし、無秩序な、虫食い的な開発(スプロール化)を防ぐために、もっぱら制限的手法によって、計画的・段階的に発展を進めようとするものです。
 これに対して農村(特に、今日の農村)においては、一般的に開発圧力の高まる要素はなく、逆に、人口流出の圧力にさらされています。それに加えて、農地法なんてものがあるおかげで農地の流動性は著しく抑えられています。結果、良くて現状維持、悪ければ衰退というのが現代の農村空間の有り様となっています。
 具体的な問題の例をいくつか挙げれば、例えば、里山の衰退。かつて、人が立ち入らない手つかずの自然林と、人里との間には、人が立ち入り利用する里山があり、これが野生動物と人間との緩衝材として機能していました。里山の荒廃により野生動物と人間との生息域が重なり合うようになったことが、イノシシやニホンザルによる農業被害、人里でのクマ目撃事例の増加などの問題を招いた一因であると言われています。
 あるいは、水源地保護の問題。日本は世界でも例外的に淡水資源(特に地下水資源)の豊富な国土を有しています。地下水は通常、内陸部の山深い水源函養地において、雨水が地下浸透し、何十年という年月をかけて地中をゆっくりと流動するものです。ところが、この水源地の土地利用を規制する法制度が何も存在しないことから、水源地の乱開発や独占使用などへの懸念が生じ、各地で対策が検討されています。
 もちろん農業者の後継者不足、交通弱者の問題、コミュニティの希薄化、耕作放棄地の増加など、農村そのものの衰退に起因する直接的な問題は、枚挙に暇がありません。


 都市空間制御の法システムを考える際には、主権者であり、主体的なアクターである「市民」を主役として考えることができました。
 ところが農村空間にあっては、こうした市民的機能がそもそも疲弊しきっています。
 先に挙げた里山の例で言えば、かつては地元の人々が里山を利用(焚き付け拾ったり、タケノコ掘ったり)することで、里山の機能が保たれていたところ、利用されなくなったことで里山が衰退したと考えられます。そうであるならば、里山に人の手を入れるための、積極的な介入が求められることになります。都市空間制御の法システムがアクターの利害調整を主眼とするものであるなら、農村空間制御の法システムはそれ以前にまずアクターの導入を促進するものでなければなりません。
 あるいは、水源地保護の例で言えば、水源地の財産権移動を警戒しなければならないのですが、水源地の土地所有者がその土地を保有し続けることが困難になってくる事態が想定されます。場合によっては公有化も有効な手段でしょう。都市空間制御においては「公拡法(公有地の拡大の推進に関する法律)」という(いささか時代遅れの感のある)法律があり、土地価格の上昇や虫食い的発展により、まとまった公共用地の獲得が困難になる事態を懸念し、事前に公有地を確保しようとする法システムが存在します。水源地保護においてはこれと逆に、土地価格は長らく下降傾向にあり(今後も大幅な上昇の見込みはなく)大規模な財産権の移転も懸念されるところであるので、虫食い的に公有化を進めることも、場合によっては有効な戦略となりうる(部分的にでも水源地に公有地があることで、民間資本による大規模な水源地の取得や開発に対して一定の抑止力が期待できる)でしょう。
 人口減少、未利用地の増加、土地価格の下落といった要件を前提として、農村空間のあるべき制御のために、どのような法システムが求められるのか。これを考えるには、戦後型の発展を前提とした法システムとはまったく逆となる発想の転換を行わなければならず、したがって、今後多くの自治体職員の頭を悩ます大問題になってきそうな気がするのです。