パブコメ時代の地方議会の役割

地方自治の現場において、住民の直接参加はもはや珍しいものではなくなってきました。

常設型のパブリックコメント制度(規則等制定のデュープロセスとしてのパブコメではなく、重要施策や計画策定時のパブコメ)を大半の自治体が備えていますし、常設型住民投票制度すら少なくない自治体で見られるようになりました。附属機関の委員に公募委員を入れるのは当たり前ですし、まちづくり協議会やワークショップで住民が意見を出し合うのも日常的な光景です。

 

しかし、住民の直接参加が政策形成過程に入れば入るほど、最終的に政策案と向き合う議会の立場が微妙になるのは、否定しがたい事実です。

住民参加のワークショップや市民会議で練られた案を、有識者(大学教授、弁護士、公認会計士など)と公募委員からなる附属機関に諮問し、パブコメを実施した上で、議会に提案し、可決か否決かと判断を迫る。これを否決する胆力がある議会が、果たして、全国にいくつあるでしょうか?

 

独任制の機関である首長に対し、合議体である議会の強みは、その多様性と集合知から、より強い民主的正当性が推認されることです(だから、予算決算の認定や条例の制定は議会の議決により、強い民主的コントロールの下に置かれるのです)。

ところが、首長が住民の直接参加の方法によって民主的正当性を補充してしまうと、相対的に議会の存在感は低下してしまいます。

現行の地方自治法による二元代表制の仕組みの下での善後策は、議会サイドにも住民の直接参加を進めることで、首長サイドに対抗できる力を手に入れることでしょう。会議の公開(本会議だけでなく委員会も。傍聴や議事録公開にとどまらず、ウェブ上でのライブ配信も)は当然の前提として、議会主催のタウンミーティングや活動報告会、参考人としての市民の議会への招致など、議会の活動に住民参加を取り込むことで、ひとまず首長と対等な議論を行う下地になるでしょう。

 

根本的な問題は、そもそも、長に比べて議会の権限が弱すぎることにあると思います。

自治法96条による議会の議決事項は、一般的に制限列挙であると説明され(2項による拡大の余地はあるとしても)、長の権限が「包括的」であることとの格差は無視できません。現行の制限列挙の96条は、昭和18年の地方制度の改正(改悪?)の際に議会の機能が縮小された当時の規定を、戦後もそのまま引きずっているだけのことだと理解しています。

立法政策的には、予算編成過程への議会の関与を設けること、議会が直接職員を任用することなどは、憲法改正を伴わず、地方自治法の改正だけで実現できるものでしょう。

長と議会が車の両輪だというなら、この2つの車輪のサイズが同じになるように、制度的な調整を入れる頃合なのではないでしょうか。現状では長のタイヤが議会のタイヤより大きすぎて、自治体号はまっすぐ進めずぐるぐると回ってその場で停滞しています。

 

こんなことを、市長の補助機関の末端職員である俺様が呟いてるという時点で、実に健全でないのですが。

安易な議会不要論、感情的な議会縮小論に与さないことの意思表明ということでひとつ。

(地域における民主主義の実現としての地方自治のために真に重要なのは、長ではなく議会だと、実は結構本気で思っているのです)