分権改革は第3の改革の名に値するか

市町村アカデミーに行った際、何人もの先生方から「平成11年の分権一括法をはじめとする平成の地方分権改革は、第3の改革である」という教えをいただきました。第1の改革は明治維新で、第2の改革は日本国憲法の下での戦後改革です。

ところで、明治維新では戊辰戦争により幕府体制が暴力的に清算されましたし、日本国憲法はもちろん太平洋戦争後のものです。これらの、見るからに分かりやすい、暴力を伴った、劇的な体制変更と並べた際に、今まさに進行中の「平成の分権改革」を、これらと同等のものだと言ってしまうことに、いささか躊躇を覚えます。

 

このような戦争と革命の密接な相互関係にもかかわらず、その二つを理論的にも実際面でも区別することは必要である。しかし同時に、暴力の支配ということを無視しては革命も戦争も考えることさえできないという単純な事実が、この両者を他のあらゆる政治現象から区別していることにも注目しなければならない。すなわち、戦争がこれほど簡単に革命に転化し、逆に革命が戦争への道を開く不吉な傾向を示している理由の一つは、暴力がこの両者の一種の公分母となっているからだということは否定できないだろう。

(ハンナ・アレント『革命について』ちくま学芸文庫、志水速雄訳)

 

地方自治制度における大転換、もっと言えば、この国のしくみに与えた大きなインパクトということで、平成の分権改革を「第3の改革」と評価する意図は、もちろん分かります。

しかし他方で、暴力的な改革であった「第1・第2の改革」と、今般の分権改革とはまた違うのだという、差異の部分にこそ目を向けたいのが、私の気持ちです。

理想を言えば、平成の分権改革は「ゆるやかに、暴力的でない形で」進められた上で、「明治維新や戦後改革に匹敵するような改革の成果を得る」ところを目指すべきなのでしょう。現時点で平成の分権改革がそこまでのものだと言い切ってしまうのは、さすがに過大評価であるように思われます。このままゆるやかな改革が続けられ、積み上げられた成果を後年振り返って見たときに、初めて、平成の分権改革は第3の改革と言うべきものであったかどうか、評価がされるべきものなのでしょう。

分権改革の渦中のアクターであるわれわれは、これが第3の改革に値するものかどうかを評価すべき立場でないように思います。数十年後の誰かがこの時代を評価しようとしたときに恥ずかしくないよう、ただ、小さな改革の成果を積み上げていくのみです。