予算と民主的統制

予算の提案権は長に、議決権は議会に、執行権は長にある。決算は会計管理者が調製し、長が監査委員の意見を付して議会に提出し、議会が審査して認定する。自治体の予算決算に関わる民主主義的コントロールは、このような仕組みで成り立っています。

明治~戦前の地方制度を思い起こせば、長は官選の色合いが濃く、議会こそが市民を代表する機関であったのですし、日本国憲法においても議会が必置機関とされていることを考えれば、予算決算の民主主義的コントロールのうち最重要なのは「議会による予算の議決」だと言えるでしょう。

したがって、歳出予算の裏付けなしに長が歳出予算を執行することを認めない=総計予算主義が必要だし、一定の時間的スパン(会計年度)ごとに財源(歳入)と使い道(歳出)を一個のパッケージ(歳入歳出予算)として議会がその可否を判断する=会計年度独立の原則があることによって議会での議論を可能にしている。というのが、私の認識です。

さて、会計年度独立の原則を実効性あるものにするためには、当該年度の歳入と歳出がどのようになったのか、年度ごとに決算としてまとめ、議会が予算と照合して「答え合わせ」をできるようにすることが肝要です。このような制度的要請から、自治体の会計は会計年度ごとに独立した決算として、現金主義、単式簿記に収束せざるを得ません。

 

自治体の会計制度をこのように理解している私としては、最近の自治体会計における発生主義・複式簿記礼賛の傾向に、若干の「民主主義的な懸念」を感じているのです。

企業活動を通じてお金がお金を産む仕組みである会社と、税金を主な財源としてその正しい使い方を判断する自治体とでは、財務会計上のガバナンスにおいて重視するポイントが違っていてよいはずです。

あまり財務4表ばかりを重視する傾向になると、従来の「税金の正しい使い道を考える」面での議会での議論が相対的に軽視され(政策的判断が財務規律の観点から否定される傾向が強化される)、究極的には、予算議決権を通じて議会が本来有する力が不当に削がれることになりはしないか。そんな危惧をしているのです。

杞憂であればよいのですが。

 

さて、正月休み終わり。明日から日常モードだ。