このお金誰のですか?

自治体の歳入は、納入通知書、納付書等の証拠書類とともに収納するのが基本であって、指定金融機関・収納代理金融機関は、納付書等がなければ公金を収納することができません。

ところが、納付書等の証拠書類を使わず、直接自治体の口座にお金を振り込んでくる納人がいます。

その最たるものは…「国」です。

 

国から自治体に支払われる補助金交付金・負担金などは、自治体所定の口座に直接振込の方法で入金されます。

これは仕方のないことで、47の都道府県と1800くらいの基礎自治体に一斉に支払いを行う国の立場で、わざわざ各自治体の納付書に合わせてやるわけにはいかない、というのは、至極現実的な話だと思います。

(去年、霞ヶ関の中の人と酒飲んだときに「昨日だけで2000億支払ってきましたよー」とか笑顔で話されて、少々ビビったのは内緒だ)

したがってこの場合、自治体側としては、公金口座と別に、国費を受け入れるための決済用普通預金口座を指定金融機関に設けて(当市ではこの口座を「未整理口座」と呼んでます)、そこに振り込んでもらいます。

国費の収納の手続をまとめると、次のようになります。

  1. 歳入担当課は、交付金額が確定したら速やかに、財務会計システムで調定を起案し、決裁権者の決裁を受ける。
  2. 調定の決裁後、歳入担当課は納付書を1枚印刷し、会計課に提出する。
  3. 国費が未整理口座に振り込まれると、指定金融機関から会計課に入金記録がファクシミリで届けられる。
  4. 会計課は、提出されている納付書の中から入金記録に対応するものを探しだし、指定金融機関に提出する。
  5. 指定金融機関は納付書に収納日付印を押し、当日収納の公金として処理する。

 

さて、困るのは、担当課がシステムに調定を入力していない場合。

納付書がないと指定金融機関は公金として収納処理ができないので、担当課が調定を入力するまで、資金は未整理口座に寝かされっぱなしになります。

どこの課の歳入か見当がつく場合、会計課から担当課に怒りの電話が入ることになります(「もう入金されてるんですけど!今すぐ調定起こしてください!」)。

見当がつかない場合、庁内イントラネットの掲示板に、D-lizさんの怒りの投稿がされます。

[件名]【至急】【重要】特定歳入について

[本文]○月○日、会計管理者口座に以下の入金がありました。

該当する歳入のある所属は、至急財務会計システムで調定を起票し、納付書を会計課に提出してください。

〈振込人名〉●●ケン(コクヒ)

〈入金金額〉###,###,###円

〈金融機関〉ニチギン ホンテン

こうなると、調定をシステムに入力していない課があることが、全庁職員へのさらし者状態となるわけです。

 

別の課の後輩「D-lizさん、こないだ掲示板に載ってた2億円、持ち主見つかりました?」

俺「見つかったよー。○○課だったよ」

後輩「自分じゃないかと思って不安になって色々確認しちゃいましたよ」

俺「ありがとう。みんなが君と同じくらい、自分かもしれないって思ってくれるといいんだけど」

後輩「しかし○○課も、2億円放ったらかしでよく平気でいられますよねー。2億円ですよ、2億円。大金じゃないですか」

俺「本当だよ。このまま持ち主が現れなかったら、俺のものになるかと思ったのに」

後輩「ならない、ならない」

パブコメ時代の地方議会の役割

地方自治の現場において、住民の直接参加はもはや珍しいものではなくなってきました。

常設型のパブリックコメント制度(規則等制定のデュープロセスとしてのパブコメではなく、重要施策や計画策定時のパブコメ)を大半の自治体が備えていますし、常設型住民投票制度すら少なくない自治体で見られるようになりました。附属機関の委員に公募委員を入れるのは当たり前ですし、まちづくり協議会やワークショップで住民が意見を出し合うのも日常的な光景です。

 

しかし、住民の直接参加が政策形成過程に入れば入るほど、最終的に政策案と向き合う議会の立場が微妙になるのは、否定しがたい事実です。

住民参加のワークショップや市民会議で練られた案を、有識者(大学教授、弁護士、公認会計士など)と公募委員からなる附属機関に諮問し、パブコメを実施した上で、議会に提案し、可決か否決かと判断を迫る。これを否決する胆力がある議会が、果たして、全国にいくつあるでしょうか?

 

独任制の機関である首長に対し、合議体である議会の強みは、その多様性と集合知から、より強い民主的正当性が推認されることです(だから、予算決算の認定や条例の制定は議会の議決により、強い民主的コントロールの下に置かれるのです)。

ところが、首長が住民の直接参加の方法によって民主的正当性を補充してしまうと、相対的に議会の存在感は低下してしまいます。

現行の地方自治法による二元代表制の仕組みの下での善後策は、議会サイドにも住民の直接参加を進めることで、首長サイドに対抗できる力を手に入れることでしょう。会議の公開(本会議だけでなく委員会も。傍聴や議事録公開にとどまらず、ウェブ上でのライブ配信も)は当然の前提として、議会主催のタウンミーティングや活動報告会、参考人としての市民の議会への招致など、議会の活動に住民参加を取り込むことで、ひとまず首長と対等な議論を行う下地になるでしょう。

 

根本的な問題は、そもそも、長に比べて議会の権限が弱すぎることにあると思います。

自治法96条による議会の議決事項は、一般的に制限列挙であると説明され(2項による拡大の余地はあるとしても)、長の権限が「包括的」であることとの格差は無視できません。現行の制限列挙の96条は、昭和18年の地方制度の改正(改悪?)の際に議会の機能が縮小された当時の規定を、戦後もそのまま引きずっているだけのことだと理解しています。

立法政策的には、予算編成過程への議会の関与を設けること、議会が直接職員を任用することなどは、憲法改正を伴わず、地方自治法の改正だけで実現できるものでしょう。

長と議会が車の両輪だというなら、この2つの車輪のサイズが同じになるように、制度的な調整を入れる頃合なのではないでしょうか。現状では長のタイヤが議会のタイヤより大きすぎて、自治体号はまっすぐ進めずぐるぐると回ってその場で停滞しています。

 

こんなことを、市長の補助機関の末端職員である俺様が呟いてるという時点で、実に健全でないのですが。

安易な議会不要論、感情的な議会縮小論に与さないことの意思表明ということでひとつ。

(地域における民主主義の実現としての地方自治のために真に重要なのは、長ではなく議会だと、実は結構本気で思っているのです)

債権者からの破産手続申立

徳島市が、徳島市観光協会の破産手続開始の申立をしたというニュースが。

 

阿波おどり赤字4億、市観光協会の破産申し立て
2018年3月2日 14時07分
 毎年8月に徳島市で行われる阿波おどりを主催する市観光協会が、約4億2400万円の累積赤字を抱えていることから、同市は2日、協会の破産手続きの開始を1日付で徳島地裁に申し立てたことを明らかにした。

(読売新聞ウェブサイト「読売オンライン」より)

 

事実関係はマスコミ等に任せるとして(当事者それぞれに言い分がありそうだし)当ブログでは手続面をちょっと解説。

いわゆる「倒産」というのは厳密な法律用語ではありません。債務超過などで事実上の倒産状態に陥った法人について、法的に債務整理を進める手続としては、概ね以下のようなものがあります。

 

【精算型手続】

  • 破産法に基づく破産手続
  • 会社法に基づく精算(特別精算)手続

 

【再建型手続】

 

精算型手続は、手続の終結をもって法人を精算する(法人格をなくす)手続です。これに対し再建型手続は、法人を存続させながら債務整理を行う手続となります。

 

破産手続開始の決定をするのは、裁判所です。

よくあるパターンとしては、債務超過に陥って事業の継続を断念した法人自身が、破産手続の開始を所轄の裁判所に申し立て、裁判所が開始決定をすると、破産手続に移行することになります。

ところで、破産手続開始の申立は、債務者本人だけでなく、債権者からも申し立てることができます(破産法18条1項)。法人自身の意思に基づかないものであるため、申し立てがされたからといって裁判所が機械的に開始決定をするわけではなく、双方の言い分を聞いて慎重に判断することになります。申立人となる債権者は破産手続開始の原因となる事実について疎明を要し(同条2項)、裁判所は決定の可否判断に先立ち、債務者に対して審尋を行うのが通例です。

したがって、債権者が申立をしただけではまだ破産手続は開始しておらず、その後の裁判所の判断でもって破産手続の開始となるわけです(この点、すでに「徳島市観光協会が破産した!」という記述を個人のブログなどで散見しますが、正確な表現ではないと思います)。

 

ところで、徳島市徳島市観光協会の「債権者である」という立場でもって、破産手続開始の申立をしているわけですが、もともと徳島市観光協会の最大の債権者は、協会に資金を貸し付けている金融機関でした(市は金融機関に対し、協会の損失補償をしている立場です。外郭団体の損失補償契約の可否については10年くらい前に全国で住民訴訟が相次いだところですが、債務保証は認められないものの、損失補償契約にとどまる限りは違法とはいえない、というのが判例のスタンスです。閑話休題)。

徳島市は今回の破産手続開始の申立に先立ち、金融機関から協会への債権を買い取って、自らが最大債権者となって申立に至った、という事実関係のようです。

 

さて、債権者が破産手続開始の申立をするに当たっては、債務者が支払不能債務超過にあることの「疎明」が必要です。

疎明とは、完全な証明とはいかないまでも、裁判所が一応それらしいという心証を抱く程度にまで証明することです。

債務者本人が破産手続開始の申立をする場合には、自らが支払不能であることを裁判所に示すだけですから、特別なことはありません。しかし、債権者が申し立てる場合、「債権者が債務者の財務状況を裁判所に示す」というハードルがあります。債務者は普通、破産手続開始を迫る債権者に対して友好的ではないでしょうから、債権者が債務者の財務資料を手に入れるのは、なかなか難しい作業です。

今回の事案では、徳島市地方自治法221条の調査権に基づき協会の財務状況を調査し、これをもとに申立を行っているようです。

 

以上、要点を復習しますと、

  1. 破産手続は精算型手続であり、破産手続が終結した際には、破産者の法人格は消滅する。
  2. 破産手続開始の申立は、債権者からも行うことが可能。徳島市は、金融機関から協会の債権を買い取り、最大債権者となって申立をした。
  3. 破産手続開始の決定は裁判所が行う。現状は「破産手続の開始を申し立てた」段階であって、まだ破産手続の開始が決定したわけではない。
  4. 債権者からの破産手続開始の申立には、疎明が必要。徳島市は、自治法221条による調査結果をもとに申立をした。

ということのようです(事実誤認があるようでしたらご指摘をお願いします)。

 

…自治体職員が倒産法制を学ぶ必要にかられる、というのもなかなか世知辛い話です(10年くらい前、法務にいた頃にちょっとだけ勉強しました)。

以上、自らの備忘録を兼ねてちょっと解説。

 

×精算 →○清算

このへんがスマホ更新のいかんところです。大変失礼しました。

(3/16追記)

新採研修から何を削るか

今度の4月に入庁する新規採用職員の研修の中で、地方自治制度について講義せよというミッションを拝命しております。

持ち時間は3時間。

レジュメとかパワポのスライドとかレッスンプランとかぼちぼち用意しているのですが、3時間で地方自治制度を語るというのはなかなか困難な作業です。ガチれば90分×15コマくらいの講義にするのも余裕なくらい、語るべき内容、伝えたいことは山のようにあります。

しかし、与えられた時間は3時間。そして、相手は新規採用職員です。事務職員だけでなく、消防士も保健師も土木技師もいます。

高度な話・法学的に突っ込んだ話・マニアックな話をしたい気持ちをぐっと堪えて、講義予定から、話すのを諦めた部分を次々切り落としていきます。泣く泣く切り落としていきます。

 

しかし、いざ話すのを諦めてしまうと、切り落とした部分の方が魅力的に見えてきてしまうのはどうしたことか。

例えば、現時点のレッスンプランでは、地方公共団体の種類についての説明はほとんど省略しています(地方自治制度の全体を語ることより、本市に適用される制度の説明を掘り下げることを優先したため)。でも、東京23区の歴史とかめちゃくちゃ面白いんだよなー。戦時中の制度だけでなく、日本国憲法下においても区長公選制が廃止されて、また復活して、と行ったり来たりしてるとことか。

あるいは、公の施設についての説明も、ほぼ割愛する方向です(所属によって関わりの深い部署と全然関わりのない部署があり、それよりは、全員に関わりのある制度の説明に時間を割きたいため)。でも、ここ20年くらいの行革の流れについて知る上で、指定管理者制度はやはり象徴的な制度なのよね。NPMとか行政経営とかいう一連の流れは、最近の公会計改革にもつながってくるわけだし。

とはいえ、平成11年の分権一括法による機関委任事務の廃止の意義については、少し高度な話になるけれど、絶対に削りたくないしなー。これを語るなら、自主条例の話もしたい。条例制定権の範囲と限界を話すなら、徳島市公安条例事件に触れないわけにはいかないし、義務履行確保手段の欠如の話もしたい。宝塚市パチンコ条例事件はさすがに難しすぎるか?

 

そんな感じで、最近は毎日頭ぐるぐるしております。

思えば、私も今まで、多くの先生方から地方自治とか政策法務とかを教わってきたわけですが、先生方も皆さんきっと、その気になれば私の聞いた講義の10倍も20倍も語れる知識と準備を持った上で、所定の講義時間に収まるように取捨選択して、ぎゅぎゅっと濃縮したお話をしてくださったのだろうな、と。そう考えると、すげえな先生、と改めて思ったりもするわけです。

ちばにゃん(cv:小桜エツコ)

タイトルと同じこと一度は考えたよね、みんな。

 

妻「チバニアンの講演会だってー(新聞か何か見ながら)」

娘「つか、チバニアンって何なの、結局」

妻「千葉県にそういう地層があってね」

俺「違ーう!(鼻息荒い)」

娘「あ、始まった」

俺「チバニアンは、地質年代の区分の名称。あそこの地層(露頭)の名称は『千葉セクション』だ」

娘「はい、一応聞きます。それで、チバニアンって何?」

俺「まず、地球は大きな磁石です。北極がS極、南極がN極の磁石。だから方位磁針は地球のどこに持っていっても、N極が北を向き、S極が南を向きます」

娘「うん、それは分かる」

俺「ところで、地球は昔から北極がS極、南極がN極と決まっていたわけではない。地球の歴史上、S極とN極が何度か入れ替わってきたことが観測されている。理由は不明。

「いちばん最近の地磁気逆転は、およそ77万年前に起こったことが分かっている。この、地磁気逆転の起こった77万年前から、12万6千年前までの年代は、地質年代上一つの区分(中期更新世)として考えられている」

娘「へー」

俺「ところで、地質年代の区分を決定するときは、世界の地層の中でその年代が観察しやすい場所を1箇所、ものさしとして決定して、他の地層を観察するときは、このものさしとなる地層と比較して年代特定を行うことになる。このものさしの場所を『標準模式地』という」

娘「ほー」

俺「直近の地磁気逆転から始まるこの時代(中期更新世)を観察できる地層は、日本とイタリアのものしか知られていない。どちらをこの時代の標準模式地に選定するか、争われていたところだけど、日本の地層『千葉セクション』の方が優れているとして、標準模式地に選定される見込みだということで、ニュースになった」

娘「ほへー」

俺「『千葉セクション』の優れているところは、堆積速度や順序の関係で、必要な地層が正しい順番で、十分に観察できる厚さであること。それに加えて、地磁気逆転とごく近い時期に御嶽山の噴火があったため、火山灰層が目印のように入っていて、ここから取り出された物質の測定によって地磁気逆転の年代がより正確に特定できるようになったこと、などが挙げられる」

娘「ふみー」

俺「今後、『千葉セクション』が標準模式地として決定されれば、地質年代の一つの区分である中期更新世に、千葉にちなんだ名前がつけられることになる。日本の研究チームはこの時代区分の名称として、千葉時代を意図する『チバニアン』を提案している。ラテン語的には正しくないらしいけど」

妻「あ、確かに。チバシアンになる?」

俺「素直に名づけるとチビアンかな。語呂が悪いので、『千葉の』という日本語から『チバニアン』と名づけたらしい」

娘「むふー」

俺「分かった?」

娘「うん、ぜんっぜん分かんない」

俺「だよねー」

 

ところで、グーグルマップでも既に「チバニアン地球磁場逆転地層」とか書かれてるのですがどう突っ込んだらよいのか。

収入証紙の終わる日

お客様「公立高校の受験に使う、印紙?欲しいんですけど」

俺「○○県の収入証紙でよろしいですか」

お客様「そうそう、それ。公立高校の受験用でいいのよね?」

俺「県立高校の受験でしたらこの証紙で大丈夫です。■■市(おとなりの政令市)の市立高校の受験には使えないので、お気を付けください。おいくら分でしょうか」

お客様「いくら?…種類が、あるの?」

俺「全日制と定時制で受験料が違いますので、ご確認をお願いします」

 

県の収入証紙の売りさばきを当市で行っています。(特例条例による委任事務)

普段、そんなにたくさん売れることはないのですが、危険物取扱者の保安講習の時期と高校受験の時期だけは、飛ぶように売れます。

ところで収入証紙とは、地方自治法で認められた自治体の歳入収納方法のひとつで、あらかじめ購入した証紙を申請書等に貼付することで、申請手数料などを納入したものと認める仕組みです。

 

市民生活に身近なところで言えば、運転免許の更新手数料とか、パスポートの発行手数料なんかは、証紙で納入するのが一般的です。また、各種許認可の申請手数料は証紙で納入することが多く、したがって、許認可権限を多く持つ道府県は、ほとんどが収入証紙の発行を行っています。

ところが、最大規模の自治体である「東京都」は、現在、収入証紙の発行を行っていません

東京都が収入証紙の廃止に至った経緯を調べておらず、不勉強で申し訳ないのですが、現在、証紙による収入としているものでも、現金収入に切り替えられるものはありそうな気がします。

先に挙げた、運転免許の更新やパスポートの発行なら、運転免許センターやパスポートセンターの窓口で証紙を買ってすぐに貼り付けて提出する人がほとんどなのですから、現金収納としても支障はない(むしろ簡素化される)ような気がします。

 

電算化の進展により、決済の方法は多様化しています。自治法施行令もクレジットカード決済やコンビニ収納あたりには対応してきましたが、ネットバンキング、電子マネーなんかをどうしていくかは、まだまだ自治体にとっては未知の領域でしょう。(電子システムの技術的には難しくない気がするので、どちらかといえば法技術的な壁をどう超えるかの問題でしょう)

しかし自治体においても、一方で証紙の便利さを認めつつも、漫然と証紙を使い続けるのではなく、新しい決済方法を比較検討して、導入が必要なものは積極的に導入していくべきではないでしょうか。

そうなると、収入証紙は廃止されるか、そこまで至らないまでも、使用範囲が縮小されていくのが、あるべき姿なのでしょう。

手数料収入的には美味しくないけどね!(売りさばき人に数%のマージンが入る仕組み)

 

後輩「今日だけで、高校受験用の収入証紙85組売れました」

俺「おおう…すげえ…」

分権改革は第3の改革の名に値するか

市町村アカデミーに行った際、何人もの先生方から「平成11年の分権一括法をはじめとする平成の地方分権改革は、第3の改革である」という教えをいただきました。第1の改革は明治維新で、第2の改革は日本国憲法の下での戦後改革です。

ところで、明治維新では戊辰戦争により幕府体制が暴力的に清算されましたし、日本国憲法はもちろん太平洋戦争後のものです。これらの、見るからに分かりやすい、暴力を伴った、劇的な体制変更と並べた際に、今まさに進行中の「平成の分権改革」を、これらと同等のものだと言ってしまうことに、いささか躊躇を覚えます。

 

このような戦争と革命の密接な相互関係にもかかわらず、その二つを理論的にも実際面でも区別することは必要である。しかし同時に、暴力の支配ということを無視しては革命も戦争も考えることさえできないという単純な事実が、この両者を他のあらゆる政治現象から区別していることにも注目しなければならない。すなわち、戦争がこれほど簡単に革命に転化し、逆に革命が戦争への道を開く不吉な傾向を示している理由の一つは、暴力がこの両者の一種の公分母となっているからだということは否定できないだろう。

(ハンナ・アレント『革命について』ちくま学芸文庫、志水速雄訳)

 

地方自治制度における大転換、もっと言えば、この国のしくみに与えた大きなインパクトということで、平成の分権改革を「第3の改革」と評価する意図は、もちろん分かります。

しかし他方で、暴力的な改革であった「第1・第2の改革」と、今般の分権改革とはまた違うのだという、差異の部分にこそ目を向けたいのが、私の気持ちです。

理想を言えば、平成の分権改革は「ゆるやかに、暴力的でない形で」進められた上で、「明治維新や戦後改革に匹敵するような改革の成果を得る」ところを目指すべきなのでしょう。現時点で平成の分権改革がそこまでのものだと言い切ってしまうのは、さすがに過大評価であるように思われます。このままゆるやかな改革が続けられ、積み上げられた成果を後年振り返って見たときに、初めて、平成の分権改革は第3の改革と言うべきものであったかどうか、評価がされるべきものなのでしょう。

分権改革の渦中のアクターであるわれわれは、これが第3の改革に値するものかどうかを評価すべき立場でないように思います。数十年後の誰かがこの時代を評価しようとしたときに恥ずかしくないよう、ただ、小さな改革の成果を積み上げていくのみです。